2度目の夜明け
日蝕、どうでしたか?
私は家でパソコンしてましたが、まるで夜中の静けさ。
見なくても感じる日蝕でした。
光が戻るにつれ、蝉や鳥がなき始め、町の活気もいつも通りに。
昨日、バイト先で「何をしているときがシアワセと思うか」
という話になった。
私を含む二人は即座に
「おいしいものを食べているとき!」
そして、残る一人は
「踊りで、新しい発見をしたとき!」
その方、本当に踊りが好きで探究心があるのです。
そういう精神性が自分にはないわけではないと思うけど
食べることとか眠ることとか
すごーく本能的なことが満たされるとシアワセと思えるのは
我ながら単純。
生きる基本を楽しみたい、というところかな。
旧暦の正月も過ぎ、今日から暦の上では春。
それにしてもすっきりしない空模様ではありますが。。。
ところで、皆さん、昨日豆まきしましたか?
私は、一人で鬼打ち豆の代わりに殻つきピーナッツで、こっそり「鬼は外~、福は内~」って言いながら豆まきしました。(ひとりでもこういう行事モノって楽しいですヨ。)
他の家でもやってるかなー、と思ったのですが、意外と声は聞こえなかったですね。
昔はあちこちで子供の声がしたものでしたが…。
スーパーでお豆はよく売れてたみたいなので、家の中で静かに豆まきなのかしら?
豆まきだけでなく、暮らしの中で四季にまつわる行事は大切にしたいなあと思っています。
どうしても家族が少ないと簡略化になってしまうのですが、それでも自分の中で「区切り」をつけるのに結構いい役割をしてくれるのです。
この頃は1年通して快適に、欲しいものは大体手に入れられる生活ではありますが、その分、だらだらと過ぎてしまいがち。
気持ちを切り替えたり、季節のものを楽しんだり、そんなちょっとのきっかけでまた、次の日もがんばろう!と思えたりするのです。
そろそろ今年の目標もはっきりたてようかなあ!
「役に立たないもの、美しいと思わないものを家においてはならない」
-ウィリアム・モリス
乗り換えで渋谷駅を使うのだが、何度通ってもこの言葉の前に来るとハッとして一瞬立ち止まってしまう。
ええと、これは駅貼り広告「アーツ&クラフツ展」(東京都美術館1/24~4/5)のポスターの中にある言葉です。
高校から大学時代にかけてアーツ&クラフツ運動について興味があり、共感していたせいか、いまだに生活のなかにある美しさというのはテーマではあります。
なかなか上手いこと取り入れられていないから、こういった言葉につい反応してしまうのですね。
「美しい」というものは、「整っている」ことでもあるように思うのですね。「整っている」ということは、安定感があると同時に、輝きもある。人を惹きつける要素ももっている。
そういう視点を持っていると、もっと暮らしもシンプルになるはずなんですけど。
おそらく人としてのたたずまいにも関係してくるので、少しずつでも実践していきたい、とポスターの前を通るたびに身がひきしまる思いです。
先週の水曜日、ストレッチ講座でお世話になっている作業所で行われた草木染めの講座に参加させていただいた。
今回は、枇杷の葉染め。
プリントで手順をみんなと確認し、作業開始。
まずは、枇杷の葉の裏に着いたケバケバをたわしで取るところから。
そして、洗った葉っぱを葉脈にそってちぎる。
この作業だけで結構時間がかかる。
洗い場で座り込んでやる作業は、ちょっと昔の井戸端の光景にも似てなんだかなつかしい。
ようやく準備が済んで、葉を2回煮込んで染め液を作る。
煮込まれた枇杷の葉はいい匂い。さすが薬効の高い葉、という感じ。
用意した布をひたし、20分にて、2時間漬け込む。
この段階では、どんなふうに染まるのかまだ不安。
そしていよいよ焙煎。
どきどきしながら、みんなで見守って、椿の灰からとった液に浸す。
すると、ふわーっとピンク色にみるみる変わっていく。
そして2枚目は1枚目ほど鮮やかではなく。
やっぱり一番目が特に植物の力があらわれる。
それでも、干す頃にはそれぞれの布が植物の息吹をもらってうれしそうにはためく。
今回は、椿のほかにもみょうばんの焙染液もつくって違いをみてみた。
みょうばんだと、椿ほど鮮やかではないが、ふわりと黄色に染まった。
写真はみょうばんで染めたもの。
植物ってすごい。
焙染によっても全然違う顔を見せる。
染めた布を肌身につけるとやはり、その息吹をもらえるような気がするのは、その過程がわかったからかもしれない。
前回の続きに近い話なのだが、コドモのころに、体験しておきたかったなー、というのは、山菜採り、焚き火。
先日、宮崎に行ったときに、滞在先のお母さんたちと一緒に散歩がてら、「のびる」を採りに行った。
その土手は土はやわらかいのだけど、まだ少し時期が早かったらしい。
それでも、お母さんは、私が苦戦している間に、ひとつかみ分、きれいに「のびる」を収穫。
ウチの母も、よく出かけたついでに、いろんなものを採ってきてはいたが、あまり一緒についていったことがない。近所にそういうものを採れる場所というのもなかったので、母は、自転車で土手にいったついでとか、友達とハイキングにいったときなどに、見つけては摘んできていた。
木の名前とか草の名前とか、花の名前とか、よく教えてもらった記憶はあるのだけど、私は名前というものをからっきし覚えられない。そんなわけで、母は私は草花に興味はあまりないと思っていたのかもしれない。
それから、焚き火。
同じく宮崎で。夜神楽には、焚き火がつきものだ。
火の勢いが弱くなっていたので、脇に積んである木をくべた。
木に水分が残っていたせいもあり、あまり上手く燃えない。
くべ方も悪かったらしく、早々に地元の人が直しにきてくれた。
うーん、ただ燃やすだけでないのだなあ。
このごろの都会では、焚き火もできなくなってきているからな。
火をおこして暖をとったり、煤けたにおいというものも縁遠くなってしまった。
案の定、着ていたダウンは、焚き火のにおいがしみついていた。
私は、それを嫌なにおいだとは、思わないのだけど、そういうにおいに縁が無い都会に帰るとやはり、「なんの臭い??」と文字通り煙たがれることになる。
話は飛ぶけど、そんな風に火を焚くことがなくなったから、花火とかのイベントにわんさと人が押し寄せるようになったのかもしれない。
火、ってやはり人を呼ぶものだ。
なんか、今回は書いていることもあちこち「飛び火」していったみたいだ。
年明けから続けていることに、「お風呂のカベ拭き」がある。
お風呂に入ったあと、ちょいちょいと乾拭きでカベを拭くだけなのだけど。
遅い時間にお風呂に入り、しかも、うたた寝なんぞするものだから、風呂上りはさらに遅い時間になることが多い。「窓をガーっと空けて、湿気を飛ばしてから寝る」、というのが理想的なのだが、寒いし、遅いし、なかなかそうもいかない。
そんなことで、去年は結構、お風呂場がカビたりして、掃除が大変だったので、今年はせめて、カベを拭いてから寝る、余裕があれば5分くらいは換気してから寝る、というように心がけている。
おかげで、カベは白いままなので、結構安らかなバスタイムを過ごしている。
そういえば、子供の頃は、お風呂掃除の係があったり、トイレはいつもきれいにするようにとか、いろんなことを言われていた。
普通の部屋の掃除でも、窓をあけ、ハタキをかけて埃を落としてから、部屋の奥から掃除機をかけるとか、玄関も箒ではいて、埃が舞わないように水をまくとか(最近はあまりしないけど)、まあ、当たり前なんだけど、当たり前に掃除のお作法っていうのが日常にあり、実行していた気がする。
週末の掃除の係りとか、上履きを洗ったりとか、靴を磨いたりなど、子供の頃はめんどくさいなーと思いつつ、今思うとよくやっていたし、それが今でも役に立っていたりするので、お手伝いというのは大事なものだ。
子供の頃にやっていたことは、大人になってそんなに頻繁にしていなくてもどうやるのか見当がつくが、子供の頃にやっていなかったことって、新たに習得するのはむずかしい。
生活に必要なことは、子供の頃にいっぱい経験しておいたほうがよいかもしれない。
台所の掃除は、着々進行中です。
本日は、食器棚の棚板をはずし、拭き掃除。
以前、春日大社の御巫修行に参加したときのスケジュール表に、「掃除」の時間は、「お清め」と書いてあった。
最初、「お清め」ってなんだろうなー、と思っていたのだけど、何度か境内の掃除をしたりしているうちに、ハタと思い当たった。
片付けたり、埃を払ったりするだけでなく、場を「清める」ものなのだなぁ、と。
神社だけでなく、自分の家とか職場でも同じなのだろう。
そう考えると、ウチの台所は、あまり清められていなかったのね。
食べ物をつかさどる場所であるのに、ダメですねー。
遅ればせながら、やっぱりキレイにしておこうっと。
12月になったというだけで、気ぜわしく感じてしまいます。
ということで、早めですが、我が家では大掃除が始まりました。
ホントは、そのつもりでなく、なんとなく台所がごちゃごちゃしているし、ここ近年思い切って掃除をしていなかったから汚れが目立ってきた、というのがきっかけなのですが。
今回は、冷蔵庫や食器棚の裏まで動かして掃除機&雑巾がけをし、台所の壁もガツガツと拭いてみました。
いろいろ物を動かしてみると、やっぱり空気が滞っていたんだなー、という感じがします。
定位置というのは、もちろんあるのだけど、あまり同じ物を一箇所に置き続けると空気って澱むような気がします。
少し入れ替えたり、大胆に換気をしたり。
最近、「そうじ力」で運気を上げる、という本がはやっているようですが、やはり、掃除して風を通すことは、気を滞らせないためにも大切だと思います。
我が家の場合は、在宅時間が長いため、余計に自分の体調や気分に関わりそうなので、できるだけさっぱりと暮らしたいなあと思っています。
来年の目標は、「ためこまない」!
明日も掃除の続きが待ってます。
部屋、というか、今のアパートの台所は西に面した場所にある。
午後2時を過ぎると、台所の窓から陽が差し込んできて、野菜や調味料、食べかけのお菓子などを照らす。
家で仕事をするようになってからというもの、真夏でなければ、そんなふうに陽が傾いていく様子を見るのは楽しい。
時間によって光の強さは変わるし、季節によってそのやわらかさも違う。
光によって、ものの見え方ってずいぶんと変わるものだ。
しかし。
西日に食べものが晒されるのってどうなんだろう。
うちの食べものは朝日にはあたらない。
西日って、陰陽の考え方からすると「陰」だよなあ。
ってことは、「陽」の食べものでも、「陰」に傾いている気がする。
そういうものを食べている自分。
朝日を浴びたものをもっと食べるとどんな自分がつくられるのだろうなあ。
「東京には空がない。」
と、昔、智恵子は言った。
(果たして、イマドキの若者は「智恵子抄」を読んだことがあるのだろうか。)
かつての知り合いも、「東京の空は「空」ではない。」
と、言っていた。
しかし、関東在住の私にとって、そこにある空が「空」なものだから、そういうことを言われると、ちょっとフクザツな思いに駆られる。
たしかに、地方の空は、澄んでいたり、ダイナミックだったりするもので。
だけど、見上げてみれば東京の空もなかなかいろんな顔を持っていて面白い。
こないだの台風の後など、夕焼けが黄金色に輝いていた。薄くたなびく雲が広範囲に広がっていたためか、光の反射がきれいだった。その後、日が落ちるにつれ、くすんできてしまったが、なかなか素敵な光景だった。
夏の雨が降る新宿も、高層ビルの上のほうが雲で覆われて、いつもと違った景観となる。
秋祭りの笛や太鼓の音が響く中での青空も捨て難い。
ようするに、いろいろあっていいじゃん、と思う。
そこで生きなくてはならないのなら、そこの風景を楽しむほうがいい。
そして、たまには、別の土地の空に思いを馳せてあこがれたりするのだ。
昨日は、汐留の日テレ前で公開中の「明日の神話」を見てきました。
「明日の神話」は、岡本太郎の壁画で、メキシコで制作・完成されたのだが、公開されずに行方不明となっていたもの。2003年、メキシコシティの資材置き場で発見され、修復、今回の公開となった。
核が炸裂する瞬間を描いたという、幅30メートルの巨大壁画は、ピカソの「ゲルニカ」をも思わせ、迫力がありました。でも、画面のいたるところに愛を感じますね、なんだか。
その後、ゆりかもめで、日本科学未来館へ。
突然の雷雨で外は真っ白。ここで雷が落ちたら…。
ですが、空から晴れ間が広がり雨があがっていく様は、なかなか面白いものでした。
都会でも、自然ってやはりダイナミックだなあ、と思いました。
そして、今日は東京タワー・増上寺付近をうろうろ。
増上寺の裏の芝公園内には、古墳もあります。
閻魔大王を祀ったお寺もあります。
東京でも、旅気分を味わえますね。
ようやく梅雨が明けました。
今のところまだ、過ごしやすい気候ですが、蝉の声をよく聞くようになりました。
やはり、夏がやってきたのだなぁ!
今日は、みなとみらいで神奈川新聞社主催の花火大会のハズ。
しかし、夜は仕事なので、花火帰りの人びととすれ違うかもしれませんね。
「朝からガッチリ仕事」、というわけにはまだいかないので、午前中は、家事プラス事務作業の時間になっています。
今週に入り、ようやく晴れ間が見え、久しぶりに布団を干すことができました。
夏の布団干しは陽射しも強いので、「ほかほか」というより「あっちっち」という感じになることもしばしば。
でも、寝ていても大量の汗をかく夏、干した布団はかろやかで、やはり、気持ちのいいものです。
● 逗子に住む知人を訪ねる用事があったので、その近くの神奈川県立近代美術館葉山館で開催されている、「アルベルト・ジャコメッティ」展も見てきた。
細長い人間の彫刻で知られるジャコメッティだが、絵画もなかなか興味深い。
「見えるままに」表現しつづけることを追い求めていた彼の人物画は、ラフスケッチのようで、細部まで綿密に描かれているわけではない。彫刻も「写実」とは言い難いと思う。それでも、作者の個人的な感情や抽象的な思想というより、モデルとなった人物の存在感を強く感じるのである。彼にとっての「ありのまま」とはどういうことなのか?それについて知りたい、と思った。
●美術館の裏はすぐ海。写真の松の先には海が広がっているのですが、あいにくの雨で霞んでいますね。久しぶりの波の音は、思ったより、「どどぉん」とお腹に響きました。
●知人の家を訪問し、夜は花火大会を見に浜辺へ。夜には雨も止み、海から打ち上げられる花火を楽しみました。花火もただ打ち上げるのではなく、種類やタイミングなど構成が結構練られているようで、そこがなかなかよかったです。盛り上がると、周囲から「おぉ~っ!」という声と拍手が…!!こういう一体感も、また、よいです。
*「アルベルト・ジャコメッティ」展は7月30日まで(月曜休館)
こないだの日曜日は、みなとみらい(横浜)の花火大会でした。
以前は港まで見に行ったりもしましたが、近所の家々の間から見えることに気づいてからは、遠くからちょこっと眺めるのを楽しみにしています。
少し距離があるので、
「ドォン」
という音も遅れてやってきます。
打ちあがる高さや方向によっては見えないときもあります。
でも、やっぱりいいものです。
坂の途中の道端で、お出かけ帰りの親子なんかが立ち寄ってみていたりするのは、村上春樹的に言うと「小確幸」(小さくとも確実な幸せ)という感じがします。
ちなみに、その坂からは富士山も見えます。
空気の澄み具合や、雪の様子などを観察するのもまた楽しい。
そんなわけで、なかなか引越ししがたいのだと思います。
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