おん祭りの食事

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奈良の春日若宮のおん祭りに行ってきました。

写真は、奈良のっぺいとお粥。

のっぺいは昭和四十年頃まで奈良の町家でおん祭りの17日にお祭りのご馳走として食べられてきた野菜の煮物。日本各地ののっぺい・のっぺい汁はこの奈良のものが原形らしいです。(春日荷茶屋のしおりより)

春日大社では、行事やしきたりなどはもちろん、食べ物も伝統的なものが残されていて興味深いです。(これは奈良地域全体がそうかもしれません。)

のっぺいはおん祭りの12月16、17日のみの特別メニューだそうですが、いつもは月変わりの季節の食材が入ったお粥が食べられます。(もちろん他のメニューもありました。)

今月は山芋のお粥。、滋養によさそうでからだもホクホク温まりました。

食べ物から脈々とつながる歴史を感じるのもいいですね。

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景色の記憶

10月末から、生まれ故郷の埼玉での仕事が入っている。

大学に入ってから家を出ているので、こんなにコンスタントに実家近くに「通う」ということは、実は今回が初めて。

最初のうちは、「あー、あそこがこんなになったんだ」とか「ここってこういう場所だったっけ?」と記憶とつなげる作業が多く、あんまり「ああ、なつかしい!」という状況ではなかったのだが、11月も下旬になってようやく、「なつかしい風景」なるものを感じてきた。

きっかけは、夕焼け。

私が住んでいた(今回行っている)埼玉の中心は、台地の上にあって平坦な土地。市街地でない場所はまだまだ、田園風景や雑木林が残っている。晴れた日は西に富士山がくっきり見え、空もまだまだ広い。

なので、夕方になると西の空が赤く染まる。(晴れていれば)

雑木林の葉っぱも夕日をあびて、きらきらと光る。

まあ、当たり前の光景といってしまえば、そうなのだが、そういう当たり前の景色が横浜とはまた違うのだ。

横浜では、坂が多いし、建物も多い。

川の向こうに見える夕焼けの景色というのも好きなんだけど、やはり、育ったところの夕焼けを見ると、「あ、そういうのだったなあ」と思い出すのだ。

正直、実家の近くって、家を出てしまってから、なんだか「なじみない」感があったが、今回ちょっと「近く」なった気がする。

「親しい」と思うには、人もあるけど、場所にもあると思う。

そういうのは、過去の記憶にもちょっとつながっているのかもしれない。

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溶岩樹型

火山に、興味がある。

というか、火山が作り出した地形に興味があるというか。

溶岩が流れ出たあとは、荒涼とした土地・・・のようなイメージがあるが、実は豊かな自然を作り出している場所が多い。

何度も訪れた隠岐とか、富士山周辺なんかも。

「焼畑」と同じ、といってしまったら規模がまるっきり違うのだけど、焼かれることとか、溶岩という形で大地の奥のミネラル豊富な部分が地表にでてくることで、豊かな土壌がつくられるのだと思う。

そんなことで、いい水も沸くだろうし。(あのフランスのヴォルヴィックも火山地帯の水でしたよね。)

その富士山のふもと、河口湖に太極拳の合宿に行ってきた。

宿の近くに、件(くだん)の「溶岩樹型」なるものがあるとのことで見に行った。

「溶岩樹型」って今回初めて知ったのだが、溶岩流が木の幹をなぎたおし、そのまま固まってできたものだそうだ。取り込まれた木は燃えて、その木のあった部分洞穴になっている。溶岩樹型には、縦穴だったり、横穴だったり、いくつか種類があるが、ここの「船津胎内樹型」と呼ばれるような洞穴は、ハワイと富士山麓でしか見られないとのことだ。

「船津胎内樹型」の入り口は神社になっており、賽銭箱のすぐ裏がそのまま洞穴へ続いている。

ビジターセンターで、入場料を払い、洞穴の電気をつけてもらう。

最初から、腰をかがめないと入っていけないのだが、その先はさらにしゃがんで進まなくてはならない。「胎内」というのにふさわしく、入ってすぐの壁面は肋骨のようなもようがついている。さらに奥へすすむと「母の胎内」がある。まさに産道のように狭く暗い道なのだが、前日の雨で水溜りができていた。この奥に、乳房石や女陰石があり木花咲耶姫命が祀られている。せっかく来たのだから、できるところまで挑戦してみようと、からだをまるめて水溜りをよけるように壁を伝って奥まで行った。一段と低い天井の穴を這うようにくぐるとようやく小さなドームのような場所についた。なにか、とても特別なものがあるわけではないし、そんなに開かれた場所ではないのだが、なんとなく一息つける別の場所に出た気分になる。「母の胎内」がからだのなかにいる感覚なら、からだを外からみている、というか。

再び、同じ道をもどり、ニニギの尊・子育て観音をめざす。

途中の壁面には、暗い地下でも苔が青々としていたり、冬場しかみられないツララなどがあり、目を楽しませる。地下の世界も意外と生き生きとしている。

ニニギの尊が祀られている奥は、「父の胎内」。ここはせまくて通れないので、そのまま出口へ。

胎内めぐりをするといつもそうなのだが、出口からさす光がうれしいのだが、暗い世界も名残惜しい。でも、外へでてしまうと、「あー、やっと戻ってきた」と、さっぱりとした気持ちになる。

洞穴は、一種の異空間だ。

「胎内樹型」や「胎内めぐり」でなくても、暗いところへ入ってそこから出てくることは、プチ再生体験なのかもしれない。

時に、そういう岩場なんかに行きたいなあ、と思うのは、ちょっと「生まれ変わろう」としているのか。まあ、普段そんなに生活に不満があるわけではないのだけど、「リニューアル」することで、いろんな楽しみをみつけていくのかもしれない。

できれば、今度はハワイの溶岩樹型も見てみたい。

*「船津胎内樹型」については、入場の際にもらった説明書を参考にした。

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海の旅

こないだの旅行は、またもや島への旅だったので、フェリーにも乗った。

佐賀県の唐津の先、呼子という港から、壱岐島へフェリーが出ている。

佐賀の島々を見ながら船に乗ること約70分。

そこから更に1時間ちょっとかければ対馬へ、その先は韓国だ。

飛行機で、ぴゅーっと飛べばすぐだけど、陸地から海を通って旅をすると、じわじわと向かう国の雰囲気にひたれて面白い。九州の北のあたりは、文化にしても食べものにしても大陸の気配が混じっている。

壱岐まで「近い」と言っても、海原にでると、周りは空と海が大部分だ。

波は、浜辺で見るのとは違うが、海の上でも寄せたり引いたりしている。

近づいたり遠のいたりする島々のの岸壁の模様も普段は見られないものなので、面白い。

それと、雲。

海の上ではさえぎるものがないので、雲の広がりがよく見える。

雨雲の下に入れば雨が降るし、雲が切れれば晴れ間が射す。(これは山も同じだけど。)

空の旅の時と同じように、海でもそういう当たり前のことがやっぱり改めて興味を惹く。

船以外はあまり人工のものがないせいか、通っている場所のせいか、倭寇とか遣唐使とか、更にもっと昔の人もこの海をわたってきたのかなあ、と思う。小さい船だとさぞかし、海は恐ろしいだろうなあ、と思ったり。

この夏の「課題図書」の『ゲド戦記』での海の場面は結構好きだったので、いろいろ思いが広がるのである。

中沢新一も、「水」っていうのはいろいろ変化をするものなので、「魔法」に近いものだし、無意識ともつながっている、といっていた。たしかに、水は、気体になったり固体や液体にもなるし、母親の胎内の羊水のイメージが強い。

揺れる・揺らすことで、からだは整えられるということでもあるし、たまに、洋上の人となって、ゆらゆらと過ごしたくなってしまうのだ。

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空の旅

こないだ、飛行機に乗った。

乗り物に乗るのは結構、好きだ。

飛行機は、普段見られない、空からの地上や、空の上が見られるのが楽しい。

いつもは雑然としていると思っている町でも、空から見ると意外と整然としていたり、田畑もきれいに区画されていたりして、「人工のものも美しい形を描いているなあ」と感心する。

自然の山もまさに「皺がよったように」盛り上がっているし、海岸線は海と陸がくっきり分かれている。そんな当たり前のものをみても、「よくできているなあ」、「すごいなあ」と思ってしまう。

空の上もまた楽しい。

出発する時は、曇った重々しい空でも、雲の上にでてしまえば青空だ。

しかも高度が上がるにつれ、青は濃くなり、紺色の夜空の色に近づく。

そんなのをみると「宇宙に近づいている」という感じもして、なんだか得意な気分になったりする。

窓の外に普段と違う世界がすぐそこにあるというのは、なかなか体験できないことだ。

外をずーっと眺めていたり、座席の前のモニターでどこら辺を飛んでいるのか確認したりするのも楽しいが、眠ったり、本を読んだり、音楽を聴いたりして過ごすのもよい。

移動しながら、そういうことをすると、「時間が進む」という感覚がよくわかる気がするのだ。

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